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日本の近代スポーツ理論の礎を作った岡部平太のキャリア・生き方

こんにちは。
カリエーレ・コンサルタンツ、キャリアコンサルタント佐渡治彦です。

皆さん、「岡部平太」ってご存じですか?
福岡県糸島市出身の方なら、ご存じかもしれませんが、
ほとんどの方が知らないでしょう。

「岡部平太」とは、福岡県糸島市出身で、戦前、戦後に現在の近代スポーツ理論の礎を作ったといわれる人物です。

福岡市にある「平和台競技場」の命名者でもあります。

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現在では、常識と言われる高地トレーニングといった科学的スポーツ理論、コーチの導入などをまだ「精神論」が当たり前だった戦前に日本に取り入れた知られざる人物です。
アメリカンフットボールを日本に紹介した人物としても知られています。

岡部は、柔道、野球、アメリカンフットボール、スキーなどのスポーツをやらせても万能でした。

戦前、アメリカに留学して最先端の科学的スポーツ理論、コーチ論を学びました。

コーチとしても日本初のボストンマラソン優勝者を育てるなど、本来なら、もっとその偉業を知られていても良い人物です。

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なぜ、このような偉業を成し遂げた偉人が世の中に知られていないかというと、その理由の一つには、常に主流派になれなかったからです。

戦前、柔道界には、日本人なら知っている柔道講道館・創始者の嘉納治五郎がいました。
岡部は嘉納にも師事していましたが、アマチュアリズムとプロの考え方の相違で決別しています。

戦時中も満州でスパイの容疑をかけられ、死刑寸前にまで至った波乱万丈の人生でした。

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当時、スポーツ界も「精神論」が主流で、根性で頑張れという風潮でした。

「精神論」は、私の学生時代にもまだ、存在していました。
小学校の部活では、うさぎ跳び、水を取るとバテルから飲むな、罰としてグランド10周走れなど、今では考えられないような、非科学的な指導を教師から受けていました。

しかし、当時、このような「精神論」が主流の日本で、アメリカの科学的トレーニング論、コーチ論を貫きました。

岡部は「スポーツは争うのでなく、競うのだ」とも言っています。

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現在では、岡部の実績を再評価される動きもみられています。

彼のような自分の意志を貫いて、主流派ではない生き方を皆さんは、出来ますか?

私は、少し自信がないです。笑
しかし、岡部のような生き方に、憧れを抱きます。
そこまで、自信を持てる自分でいたいと思います。

東京オリ・パラが開催される現在、アマチュアリズムとプロ、オリンピックとは?何かを考えてみたる機会にもなりました。

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「岡部平太」については、6月に福岡市の西鉄ホールで劇が上演されました。
また、小説「Peace Hillー天狗と呼ばれた男 岡部平太物語(上・下)」
(幻冬舎)

令和3年6月21日に「直向きに勝つ」(忘羊社が発刊されています。

作者は株式会社西日本新聞メディアラボ・橘 京平(プロジェクト名)です。

ご関心を持った方は、是非とも、読んでみてください。

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